某氏が編集主幹を務められた和英辞典が新発売になった。優れた辞典が1点増えたことになる。慶賀すべきことだ。ただし、その「まえがき」の一部に首肯できないところがある。氏はそこで次のようなに述べておられる(文字への色付けは私による)。authentic とは「信頼できる、真正の、本物の」という意味の形容詞である。
本辞典の編修に当たっては、まずauthentic Japaneseを標榜した。これまでの和英辞典の用例は、先に英文ありで、それを訳している傾向があった。つまり、英文の構造を伝えようとするあまり、直訳調のぎこちない日本語となっているものがいろいろと散見されていたのである。和英辞典は日本語から引く辞典である。その入口となる日本語がぎこちないのでは、その役割を十全に果たすことができない。このような傾向を払拭し、自然な日本語を自然な英語に置き換えることの出来る和英辞典とすべく、以下のような工夫を行なった。 (1) (省略) (2) 日本語校閲 用例については、従来の英文校閲に加え、日本文についても専門家に校閲を依頼した。これにより、前述の「英文ありき」のぎこちない日本語を一掃し、自然な日本語の提示を徹底できたと考えている。 (以下省略) |
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「これまでの和英辞典の用例」云々ついては、氏の事実誤認か、きわめてミスリーディングな書き方だと言わざるを得ない。これでは、「これまでの和英辞典」はすべて「先に英文ありで、それを訳している傾向があった」ように読めるからである。同じ氏が編集主幹を務められた別の和英辞典こそが、まさに「先に英文ありで、それを訳している傾向があった」ものである。そのことについては、数年前、諸所において証明した(その“改訂版”すなわち現行版の問題点に関しては、別途、論じる予定である)。
「和英辞典は日本語から引く辞典である」という認識を示したのも、実際には同書が嚆矢(こうし)ではない。私自身、同辞典よりも6年以上も前に、私が関係した和英辞典において、日本語監修者を立てた上、「和英辞典は“和”の部分において、何よりも“良き国語辞典”でなくてはならない」という年来の辞書編纂理念を明記している(私が関係した和英辞典の発行元の名誉のためにも、この点に言及しておきたい)。正確に言えば、その認識を某英語雑誌に公表したのは、同辞典よりもさらに10年以上も前のことである。その後、同様の認識を示し、日本語監修者を立てた和英辞典がほかにも出た。
私が関係した辞典も、改善すべき点は少なくないし、それは認めざるを得ないが、いやしくも、「和英辞典の国語辞典性」という主張を先行的に為した者(の一人)として、氏の上記一文には、正直なところ、納得できないものを感じる。